ヲタクな私の話

 

 

私のヲタク論(?)について語ろうと思いブログを書き始めます。

 

 

 

最近もやもやしてたんです。

私は何のヲタクなのか分からないから。

私ってただのミーハーなんじゃない?って

ちょっと悩んだりもした。

 

 

私1つの作品や俳優さんとかを追求して

「ずっと好き!!!これが1番!!!」

っていうのが1番ヲタクとして良いんだと

思い込んでたんです。

 

なのに私自身は色んなアニメや漫画ドラマ映画舞台を見ていて、こんな定まらないヲタクってヲタクなのかなって。

そんな自分が好きになれなくて嫌だなって思ってた。

 

 

 

 

でも私は沢山の作品と出会ってる。

沢山の作品と出会って沢山の感情とも出会ってる。

それって嫌なこと?

そう問いかけると、違うなって。

 

 

沢山の作品と出会って嫌な思いしたことないな。

むしろプラスでしかないな。と。

 

 

私は1つを追求するより沢山の作品や役者さんと出会いたい。

沢山出会って沢山の感情と出会って、

全部自分の糧にしたい。

 

 

 

そこで気づいたのは、

私はきっと誰かが紡ぐ物語が好き。

「物語ヲタク」だということ。

 

 

そう思うとゲームが得意でないこと、

数学とかの理系が得意でないこと、

に納得がいったというか言い訳ができたというか笑

 

 

そして自分自身の好きなモノを自分で認められた気がする。

 

 

 

私は生まれてからずっと「物語」が好き。

幼稚園児の時はずーーっと絵本を読んで、

小学生の時はヤングアダルト文庫と少年漫画を読み漁った。

中学生になると近代小説を読み漁って生きる気力を貰った。

高校生の時に演劇での物語のアプローチの面白さとアニメの面白さを知った。

短大生の時は時間さえあれば映画館に行った。

 

 

私の人生に欠かせないモノは「物語」

あーずっと私はブレずに生きていたんだなって思いました。

 

 

その時の状況や心境によって「好き」だと思う作風も演者さんも違う。

 

それで良い。

 

 

何年か経って

「あーこの役者さん好きだったな」

「この作品めちゃくちゃ好きだったな」

「なんでだろ笑」

 

ってなるのも面白いなって。

 

 

好きって進化もするけど後退もする。

進化する好きはとことん進化させたいし

後退してしまった好きはきっとその場に置いてきてしまう。

でもいつか振り返った時絶対その好きはその場にあって、絶対なくならない。

 

「好き」だった感情はなくならない。

大事に大事に置きっぱなしになる笑

 

 

それで良いな。それが良い。

私は大事に大事に置きっぱなしにするものが

沢山あっていたい。

だから沢山出会う。

沢山出会って沢山置きっぱにしたい。

 

 

だからこれからも大事に大事に置きっぱなしにするものを沢山増やして、生きて行こうと思う。

 

 

 

そんなヲタクな私の話でした。

 

相変わらずボロボロな文章に

最後までお付き合いありがとうございました。

文章たくさん綴ってたくさん読んでもらってたくさん成長したい今日この頃。